北海道を舞台にした金塊をめぐるサバイバルバトル漫画「ゴールデンカムイ」(原作:野田サトル)には、物語の最初から最後まで、たびたびヒグマが現れます。ヒグマのリアルな生態を描写しており、物語として面白いだけでなく、とても勉強になる漫画です。
原作は完結済みで全31巻、アニメはすでに4期まで放映され、実写映画が2024年1月19日に公開される「ゴールデンカムイ」。
漫画で描かれたヒグマのシーンを、実際の事例と合わせてご紹介します。
土饅頭
ヒグマは獲物を食べる時、しばしば死体を土や落ち葉でおおって土饅頭のように隠して食べ続けます。
鹿などの死体が見当たらなくても、腐肉臭がすれば要注意です。
また、近くにヒグマが見えなくとも、食べた跡があれば、近くに潜んでいます。
野田サトル『ゴールデンカムイ』第1巻 第1話
遺体が土饅頭にされていた事例
2023年10月29日頃に北海道福島町大千軒岳にひとりで入山した北海道大学の男子大学生(22歳)が11月2日に遺体で発見された。
損傷激しく、ヒグマに襲われたと見られる。
遺体の発見場所は標高500メートル付近の沢沿いで、登山道から約50メートル離れた険しい崖の下。遺体には隠すように砂や植物がかけられており、いわゆる「土饅頭」が作られていた。
遺体から数十メートル離れた場所にヒグマの死骸があった。10月31日に登山をしていた消防隊員3人が襲われ、負傷するもナイフでヒグマの喉元を刺すなどして撃退していた。同じヒグマの可能性がある。その後、胃の内容物のDNA鑑定により、男子大学生は同ヒグマに喰われたことが判明した。
ヒグマによる登山中襲撃死は53年ぶりである。
若いオスのクマで、体長125センチ、体高58センチ、栄養状態は良好だったという。
時速60キロで走る
瞬発力・持久力ともに高く、野生の鹿も追いかけて仕留める走力があります。
ヒグマが時速60キロのトラックと並走し続けた証言もあるとのこと。
時速60キロは、100mを6秒で走る速さです。
50m離れていても3秒後にはもう目の前です。
ちなみに100m走10秒は時速36kmです。ウサイン・ボルトの100m走の記録9.58秒は平均時速37.6kmですが、トップスピード区間(60m~80m)は時速44.7kmに達します。それでもヒグマにはすぐに捕まってしまうことになります。
競走馬の平均時速も時速60キロなので、とんでもない速さであることが分かります。
野田サトル『ゴールデンカムイ』第1巻 第1話
ヒグマが疾走する姿が撮られてますが、あっという間に姿を消す速さです。
冬ごもりの穴からでたばかりは何も食べない
「冬ごもり」とは「ヒグマの冬眠」のことを意味します。
小型哺乳類のリスなど、多くの冬眠は、眠っている最中に大きな声を出したり、触っても起きないほど深い眠りです。
それに対してヒグマの冬眠は、近づいてくる足音だけで目が覚めるような浅い眠りです。
他の動物の冬眠に比べ、「単に冬に穴にこもっているだけ」のようにみえるため、「冬ごもり」と呼ばれます。
春が来るまでの3~4ヵ月もの間、ずっと浅い眠りの状態で、何も食べず、何も飲まず、排泄もしないで過ごします。
そのため、冬ごもりの穴から出たばかりの熊は胃が縮んでおり、すぐに食べることが出来ません。
野田サトル『ゴールデンカムイ』第1巻 第1話
冬ごもりに失敗した熊(穴持たず)は、気性が荒く危険
冬ごもりしそこなって気性が荒くなっている危険な熊を「穴持たず」といい、アイヌ語では「マタカリプ」といいます。
【冬 徘徊する もの】
熊は一度手に入れた獲物に対してものすごく執着します
獲物を奪われたらどこまでも追いかけて取り戻そうとします。
熊の食いかけに手を出すことはとても危険な行為です。
野田サトル『ゴールデンカムイ』第1巻 第1話
「穴持たず」による熊害事件の例
三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)
1915年(大正4年)12月9日から12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢で発生。死者7名負傷者3名(負傷の1名は怪我が原因で後に死亡)
日本史上最悪の熊害とも評される。
共食いすることもある
北海道内ではヒグマの共食いは1918~95年に文献などで8例が記録として残っています。
また、2017年4月30日、北海道大学の学生グループ「北大ヒグマ研究グループ」が見つけたヒグマのフンの中には、大量の毛とともに、ヒグマの爪が入っていたことを確認しており、近くにはオスグマの成獣の足跡(横幅約16センチ)があったとのことです。
野田サトル『ゴールデンカムイ』第1巻 第1話
ヒグマは巣穴に入ってきた人間を殺さない
作中では巣穴の中に熊笹が丁寧に敷き詰められています。熊は自分の巣穴を汚したくないため、侵入者を殺さないらしいです。
アシリパさんは、「勇敢だった私の父はは毒矢を握り締めて巣穴にもぐっていき、ひとりでヒグマを仕留めたものだ」と言ってますが、これを検証するのは命を懸けなくてはなりません。
ヒグマではありませんが、アメリカクロクマの巣穴に入った生物学者のレポートがありましたので紹介させていただきます。
野田サトル『ゴールデンカムイ』第2巻 第8話
実際に熊の巣穴に入った例
生物学者のウェス=ラーソン氏が、アメリカ・ユタ州南部において、研究対象のアメリカクロクマの首輪に取り付けてあるGPSのバッテリーを確認・交換するために、冬ごもり中の熊の巣穴に入るレポートです。こちらの巣穴も中に草が敷いてあるのが見えます。
Black bears show a relative level of tolerance to intruders in their dens (a grizzly bear would kill you) but they can get pretty cranky and it’s important to get the bear sedated and worked on, then tucked back in as quickly as possible.
Facing My Fears in the Depths of a Bear Den – Coalatreeから一部抜粋
アメリカクロクマは巣の侵入者に対して比較的寛容です(グリズリーだと殺されます)が、彼らはかなり不機嫌になることがあるため、クマを鎮静化して作業を行い、できるだけ早く巣に戻すことが重要です。
クマは巣穴に入ってくるものに対して寛容であることが書かれていますが、”(グリズリーだと殺されます)”とも書かれています。
グリズリー(ハイイログマ)はヒグマの一種なので、「ヒグマは巣穴に入ってきた人間を決して殺さない」が早速否定されてしまう気がしますが、アシリパさんが言うヒグマは北海道の「エゾヒグマ」なので、エゾヒグマも侵入者をきっと殺さない…はず。
This hole extended 80 feet into the darkness and was barely wide enough for me to fit in. As I lowered my head to shine my headlamp into the back of the hole, two glints of green light reflected back, almost too faint to see. The bear was back there, he was bigger than I remembered, and he was awake.
Facing My Fears in the Depths of a Bear Den – Coalatreeから一部抜粋
この穴は暗闇の中で80フィートも広がり、私がかろうじて中に入れる広さでした。私が頭を下げてヘッドランプで穴の奥に光を当てると、2つの緑色の光がほんのりと見えるほど反射しました。クマは奥にいて、私が覚えていたよりも大きく、そして目を覚ましていました。
画像の通り目が緑色に反射して、クマが起きています。
クマの冬眠は浅い眠りなので、音を立てると目を覚まします。
When I was within eight feet of the bear, I extended my syringe pole and sat with it near the bear for ten minutes, waiting for any sign that the bear was going to respond aggressively. When he finally put his head down, I decided to go for it and poked him in the meat of his shoulder, simultaneously holding my breath and waiting for him to charge.
Facing My Fears in the Depths of a Bear Den – Coalatreeから一部抜粋
クマから8フィート以内に近づき、注射器のポールを伸ばしクマのそばに10分間座って、クマが攻撃的に反応する兆候を待っていました。クマがようやく頭を下げたとき、私は思い切ってクマの肩の肉に注射器を突き刺しました。同時に息を止め、クマが突進するのを待っていました。
巣穴の中で麻酔薬入りの注射器をクマに突き刺します。
To my infinite relief, the bear hardly even noticed the injection and I slowly backcrawled my way out of the den, shaking from both adrenaline and relief.
Facing My Fears in the Depths of a Bear Den – Coalatreeから一部抜粋
とてつもなくホッとしたことに、クマは注射にほとんど気づかなかったため、私はゆっくりと巣穴から這い出て、興奮と安堵の両方で震えていました。
クマは襲って来ませんでした。
「巣穴に入ってきた人間を決して殺さない」というアイヌの言い伝えは本当かもしれませんが、クマには個性がありますし、襲ってこない保証はないので絶対に試すのはやめましょう。
クマの攻撃による顔面損傷
ヒグマの巣穴と知らず、中に向けて発砲した兵隊(玉井伍長)が、怒ったヒグマに突然攻撃され、顔面が剥がれる場面があります。
ヒグマ、ツキノワグマを問わず、熊は人間の顔面や頭部を執拗に攻撃する習性があり、「熊外傷」の9割は顔面とも言われます。
顔面が崩壊するほどの怪我でも、それが致命傷でないなら「命に別状はない」と報道されますが、実際は凄惨な状況であることが多いものです。また、野生動物の爪や牙には雑菌が多く、治療も困難を極めます。
例え命が助かったとしても、複数回の手術や感染症治療、術後の後遺症、顔面損傷による社会的なダメージなど、その後の人生を大きく狂わせるものとなります。
しかし、玉井伍長は顔面が剥がれた状態でヒグマを仕留めます。第七師団が陸軍最強と言われる所以を印象付けたシーンでもあります。
野田サトル『ゴールデンカムイ』第2巻 第10話
クマによる顔面損傷の状態と治療の実際
山梨県立中央病院に搬送された熊外傷の例を紹介します。
ある年の11月、午前9時頃に狩猟のために入山した63歳男性が、体長150cmくらいのツキノワグマをライフルで撃った後に接近したところ、熊が起き上がり襲われたものです。
右眼球が破裂、外鼻の全欠損等、凄惨な状態で、公開論文では、初回受診時から5回目手術後までの写真と、受傷382日後の写真が紹介されています。
公開論文に写真が載せられていますが、血塗れの顔面等、非常にショッキングな画像ですので、苦手な方はオススメしません。熊外傷の実際を紹介するため、下記にリンクを貼っておきます。
創傷98-105 (jst.go.jp) ※閲覧注意
非常に強い力で攻撃され、顔の神経や各組織を破壊するため、顔面の後遺症としては見た目の傷跡だけでなく、顔が動かない、眼が開かない、閉じない、口が動かないなどの症状が残り、何度も手術を繰り返して対応していく必要があります。
ツキノワグマよりもさらに大きなヒグマに襲われれば、命があること自体が奇跡と言わざるを得ません。
ヒグマと対峙した時の対処法
ヒグマの巣穴に発砲した兵隊(玉井伍長)が、怒ったヒグマに襲われますが、仲間の兵隊(野間一等卒)が冷静に対処します。
・背を向けて逃げるのは自殺行為
・死んだふりは無意味
・ジッと動かず穏やかに話しかける
・目をそらさず怒りが鎮まるのを待つ
・立ち上がるのは攻撃のためではなく、他に敵がいないかの安全確認
これらの対処法は、各地域の熊対策マニュアルに記載されているものと同様で、過去の事例からの教訓として伝わってきたものです。
もっとも、この後に仕留めそこなって、逆上した熊に反撃を受けますが…。
野田サトル『ゴールデンカムイ』第2巻 第10話
野田サトル『ゴールデンカムイ』第2巻 第10話
死んだフリが有効とされた由来
熊に出遭ったら死んだフリと広まった由来は諸説あります。
イソップ寓話の「熊と旅人」で、熊に出遭った旅人が地面に倒れて死んだふりをして無事だったとする話があります。そのため古来より、「熊は生きた人間は食べるが死人は食べない」と信じられていましたが、実際は熊は死肉も食うので、死んだふりをしても襲われるときは襲われます。
熊は走って逃げる動物を追う習性があるため、熊の姿を見て慌てて背を向けて逃げるよりは、恐怖で動けなくなったり、倒れ込んでしまった場合の方が、積極的に襲われない確率が上がります。 死者7名を出した三毛別羆事件においても、布団の中で眠っていた6歳の女の子が無傷であったこともあり、これらの「生還者」の事例から、止まっていれば=死んだふりをすれば襲われないのでは、という思惑が広まっていったとされています。
うつ伏せになり、首の後ろを両手で守り、ジッとする防御体勢をとることが、熊に襲われた際に命を守る方法として有効とされていることから、「死んだフリ」という表現になったのかもしれません。
ヘビが嫌い
作中で「ヒグマはヘビが嫌い」という描写が出てきます。その習性を利用して、窮地を逃れる場面がありますが、実際に試すことは難しいです。
のぼりべつクマ牧場が実際に子グマとヘビを会わせてみたところ、子グマたちは驚き、得体のしれない生物を見るように遠巻きにヘビを見ていました。
このヘビはアオダイショウで、危険を感じたりストレスを感じたりすると臭腺からとても臭い液体を出します。液体は霧状で分泌することもあります。
そのため、ヘビの姿や動きを怖がったのか、アオダイショウの臭いのため逃げたのかは不明です。
しかし、おもちゃのヘビでも逃げていったとの話があるため、本能的にヘビを忌避しているのかもしれません。
野田サトル『ゴールデンカムイ』第7巻 第65話
野田サトル『ゴールデンカムイ』第12巻 第112話
アイヌ民族最後の狩人の著書の中に「熊は蛇が嫌い」
熊に遭遇した時の対処法の中に、ヘビが嫌いである旨が記載されています。
ベルトを蛇のように揺らしたり、柴をヒューヒュー音を立てる様に振り回す。
引用元:「クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人」(姉崎 等)
熊は蛇が嫌いなので、細くうねる物を非常に嫌います。車の古いワイパーゴムやロープをを携帯し熊に投げつけて、事なきを得た事例もあります。
「クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人」の著者である姉崎等さんは、1923年北海道生まれ、屯田兵の父親とアイヌ民族の母親を持ち、アイヌ民族の集落で育ちました。12歳で狩猟を始め、22歳で単独の熊撃ちを始めます。1990年の春グマの狩猟禁止までに60頭を狩りました。
ゴールデンカムイはヒグマの生態のほか、北海道の様々な生物や植物、アイヌの文化や歴史など、とても丁寧に描かれています。
登場人物もさっきまで仲間だったのが、すぐに敵になったり、あるいはその逆であったり…。
物語としても非常に面白く、色々な漫画や映画、美術作品等のオマージュもそこかしこにネタとして展開されています。
とんでもない下ネタもありますが、本当に名作といえる超オススメ漫画です。
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